今回ご紹介するのは、愛媛の松山城にある「二之丸史跡庭園」です。
都会の喧騒を離れ、タイムスリップしたかのような松山城の庭園。
100年越しの愛が根付くこの地で、大切な人と静かなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
現存12天守のひとつ「松山城」
賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の一人、加藤嘉明が築いたお城です。
かつて日本に存在した城のうち、一般向けに見学できるのは200城ほど。
そのうち、江戸時代以前からの天守が残っているのはたったの12城で、松山城もそのひとつです。
歴史的な現存天守だけに、一度は見ておきたい場所です。
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かつて松山藩の中心だった場所
松山城は山の上にあって、平時にはいちいち登るのが不便でした。
そのため、江戸時代になると伊予松山藩の政治や、殿様の住居はふもとの御殿に移動。
日本のお城と言えば天守閣がメインですが、城のリアルな様子を体感できるのは藩主の家族が暮らす二之丸かも、、、
そんな二之丸跡が復元されている松山城は、政庁としての役割を果たした表御殿と、藩主の家族が暮らした奥御殿に区分されていました。
表(政治面)と裏(家族)の当時のリアルな暮らしがイメージできる、珍しいスポットとなっています。
二之丸史跡庭園は、松山城の広い敷地内の中でロープウェイやリフトのあるルートとは別の、県庁方面にくだって行った途中にあります。
そのままリフトで往復していたらわからない場所にあり、また、逆に県庁方面から二之丸、本丸に続く道を登ってくるのはすごく大変です。
まずはロープウェイに乗って上までのぼり、お城の降りてくる道順をオススメします。
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現地には車やバス、電車で行くことができます。車の場合は自家用車かレンタカーの比較サイトから探すと安く借りられます。
屋敷の雰囲気を庭園で表現しています!
かつて伊予松山藩の2代藩主、蒲生忠知(がもうただとも)の邸宅跡は、今は松山城二之丸史跡庭園になっています。
庭園は、絵図をもとに邸宅の間取りと庭園を再現したもので、表御殿跡は「柑橘・草花園」としてミカンなど各地の柑橘類の木がたくさん植えられ昔の部屋の間取りを表現。
奥御殿跡は「洗水園」として中は綺麗な庭園になっており、水と砂利と芝生で昔の部屋の間取りを表現しています。
現地では地面に線があるだけなので、かつてこちらにあった御殿や殿様の日常生活の様子などなかなかイメージしにくいかも、、、
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「恋人の聖地」となっている庭園
その由来は、コインに隠されたラブストーリーによるもの。
名所の一つでもある松山城の「大井戸」の遺構は、東西18m、南北13m、深さが9mもある巨大なもので、当時は防火水槽として使用されていました。
そんな二之丸での発掘調査の際、この大井戸から見つかったのが一枚のロシア金貨です。
帝国ロシア時代の10ルーブル金貨には、男女の名前が刻まれていました。
加工の形跡があることから、ペンダントとして使用していたものと見られます。
のちに、この男女の名は実在するロシア人の男性捕虜と、日本人の女性看護師と判明。
日露戦争の最中、二之丸史跡庭園にあった病院に入院中、二人は恋に落ちたのではとささやかれています。
敵対する国同士の二人が恋に落ち、100年の時を超えて祝福されたことから2013年に「恋人の聖地」として認定されました。
二人の強い想いから、ここ二之丸史跡庭園は多くの恋人たちに支持され、日本らしい風景の中で大切な瞬間を残そうと、多くのカップル訪れています。
発見された金貨は、庭園から徒歩約10分のところにある「坂の上の雲ミュージアム」に展示されています。
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まとめ
いかがでしたでしょうか?
二之丸史跡庭園では、大きな井戸からロシアの古いコインが見つかったことから恋人の聖地に認定されています。
100年経っても色あせない恋、素敵ですよね。
松山市街にありながら、まわりの喧騒とは離れゆったりとした時が流れる癒しのスポットです。
そんな歴史ある地へ、大切な人と赴いてみてはいかがでしょうか。
名称: 松山城 二之丸史跡庭園 まつやまじょう にのまるしせきていえん
住所: 愛媛県松山市一番町4丁目1-5
時間: 9:00-17:00
電話: 089-921-2000
駐車場: 無料駐車場あり
二之丸史跡庭園のページ
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